自分へ


by zaomiao-s
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ストレス

今夜は義父の付き添いの日である。
最近、四日目に来るこの日を考えると「嫌だなあ~」という気持ちが頭をもたげる。
誠心誠意の気持ちで対応しても時々それがあだとなり返って来るからです。老化で能が萎縮しているから時々子供に返ってわがままを言い出す彼、自分の世界に入り込んで、訳の分からないことを言い出す彼、素直にトイレをしない彼、思うようにならないと直ぐ怒り出す彼、そんな時はあの手この手で彼をおだてて言葉を選んで使う。
トイレも自分で上手にできないので、介助するのだが、スムーズに行く時はほっと安堵するが、素直に応じてくれない時はトイレで無い場所で・・あるいはトイレの中でも外へ・・・前回もそうであった。間に合わなくて・・・一生懸命なんとかして僅か三メートル先のトイレに連れていくのだが・・・上手くいかなかった。
便器の床を拭きながら涙が出て来た。特に私の番の時が一番うまくやってくれない気がする。気のせいかもしれないが、それでもそんなふうに考えるとやはり血の繋がらない嫁の私では駄目なのかなあと考え込み、悲しくなる。これが一番のストレスである。

 夜中は特にトイレへの方向音痴で手をつないでトイレに引っ張って行くのだが足元がスムーズに運ばない時もある。日増しにますます足取りがおぼつかなくなってきた。用心に紙パンツをはいているのだが、長年の習性はなかなか直らないのでどうしても外に・・・・
歳をとるということはこういうことなのだが、自分の老後を思うとき、ぜひとも下に関しては正常であってほしいと願うばかりである。

毎日両親と付き添いの人の布団を敷く。年寄りの母には重い布団は運ばせないようにしている。しかし、最近私も腰に来るようになってしまった。気をつけないと・・まだまだ先は長いのだから。
いよいよ介護の日々がやって来た。まだ義母が元気なので良いが、それでもいつまでもそうはいかない。
しかし、自分の人生も大事にしたい。元気な彼らに振り回されて来たこの三十年、今度は介護で振り回されることになる。せめて時間の許す限り個人の楽しみを持ちたいものである。出来るうちに、すこしでも若いうちに良い思いをしないでどうするの?いつも自分のことは後回しにして来たことをこの先後悔しないように。両立は難しいかもしれないが、時には幸せな時間が無くては続くはずは無い。気持ちも荒んで行くだろうし。

ここで「嫌だなあ~」という気持ちを整理するために書いてみました。
この先、こういう思いがなるべく心を占領しないように。
気楽な軽い気持ちで介護ができるように。
本来ならば自分の父にもこんな介護をしてあげることができたらよかったのにと・・・・・そんな思いも余計心をふさぐ一因でもあることに気づきながら・・・。
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by zaomiao-s | 2007-11-26 13:54

父逝く

2007年(平成19年)10月31日朝8時40分、私の父が逝きました。
ボーとパソコンに向かっているだけで暫くは勉強意欲を失っています。
一人になると彼のことを思いめぐらす私があります。闘病生活の父の想いは計り知れないものがあります。呼吸器の肺を患い、最後は息することも困難の状態となりました。
早く楽になりたいと漏らしていた言葉を母から聞きました。只でさえ私より小さな体でしたので、患うと直ぐに体は衰弱してしまいます。危篤の知らせを29日の朝八時前に聞き、病院へ駆けつけました。30日の午後四時頃には私は彼を見舞い、帰り際又来るでね、頑張りんよ、との言葉に三度首を縦に振って応じてくれました。その時はすでに呼吸は乱れ、声を発することも困難な状態でした。病院で一度は意識を取り戻し、みんなの顔を目を見開いて確認していた彼でしたが、30日の深夜二時頃また急変し病院へ駆けつけました。しかし朝方一気に血圧が下がりそのまま逝きました。当年83歳の生涯を閉じました。

彼の人生を私なりに振り返れば、彼を慕う人々が家族のほかにも沢山いたことを誇りに思います。それだけ人情に厚い父でした。商売に明け暮れた日々、木材業から製造業、合間にはタバコ栽培、ヤギも羊も牛も鶏も飼育、趣味ではニシキ鯉なども飼っていたこともあります。早くからオートバイに乗り、車を運転し、地元の山林を飛び歩いていた彼、その後車の部品製造業を起こし五十人近い従業員と家族的な会社を三十年程経営し、引退した後にも田んぼに稲を作り、私の家族はずっとそのお米を昨年までありがたく戴いて来ました。
つい一年前まで田畑を耕し、草刈機を動かしていた彼がこんなに早く逝ってしまうとは思いもよりませんでした。こんなことならば、もっと顔を見に行けばよかったと想う私です。
過去に私に向かってもう思い残すことは無いと言っていた言葉は本心からか?それとも早く苦しみから逃れたい思いで言った言葉なのか?それはわかりませんが、私から見て、弓道、お習字、俳句、など常に勤勉な姿勢を崩さなかった彼でしたので、やりたいことをある程度自分に納得のゆくまで出来たのだと思う気も致します。

父の勤勉さを見習って、私もこれから毎日励んでいきたいとそんなことを思うのですが、
まだ今のところなんとなく気持ちの整理がつかないでいます。
これは時間が解決してくれることでしょう。
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by zaomiao-s | 2007-11-06 11:19